■□■□ 【社会や思想系】 ■□■□
痛ましいことだが、連日ニュースが「児童の自殺」を取り上げている。それは北海道のいじめ自殺隠蔽事件や福岡県のいじめ自殺に教諭が関与していた事件などが発覚しているからだ。
いじめによる自殺の件数は99年度以降ゼロ
という文科省の公式発表も明らかにウソである。
昨年度だけでも公立小中高校に通う生徒で自殺者は
105人出ているのだから。
YOMIURI ONLINE「いじめ自殺緊急調査、文科省が全国の小中高で洗い出し」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061017i101.htm今回は「いじめ自殺」について少し言及してみたいと思う。
■身近にある死
平成16年の統計では自殺者は
32,325人である。
参考:
「平成16年中における自殺の概要資料」警察庁生活安全局地域課

抜粋:職業別自殺者数
平成10年度~16年度の平均は
約3万3千人で
かくいうボクも、身近、知人や面識のある人の自殺を5例知っている。
それを踏まえていうのだが、国の自殺防止策は根本的に間違っている。
まして、いじめによる自殺は殺人に相当する犯罪である意識が非常に希薄なのだ。
ボクに言わせると万単位の殺人が日本で野放しになっていて
交通事故なんか目じゃない。超恐ろしいホラーの世界だ。
■自殺って客観的にどうなの?
ここで客観的な話をしたい。
様々な状況の中から「いじめによる自殺」を特に意識していうと、
なんで死んじゃうの?逃げればいいじゃない
といえる。
死者を愚弄しているわけではないが、たとえば学校でいじめがあって本当にもうどうしょうもなくなったら親に相談し「転校する」という手だってあるのだ。
当然、自殺するくらいなら相手を殺すという選択肢すらある。
つまり誤解なく言うなら、それで死んでしまうのは「アホウ」だ。と考える人もいるかもしれない。
しかし、実際はそうはうまくいかない。なぜだろうか?
それは自殺に至る人たちが真面目で責任感があり「迷惑をかけたくない」という気持ちが強く、「逃げる」選択肢を選ばない傾向があると推測する。
また他にも理由がある。その理由こそ社会的問題を抱えており、国をあげて対策しなければいけないことだ。これを次にとりあげたい。
■見殺しにする社会
世の中にはレールがある。
ボクのようにレールを嫌うほうが珍しく、外れてみるとよくわかる。
学校に行き、就職して、結婚をして、老いて死ぬ。
この基本的なレールから外れると並大抵のことでは普通の生活が送れない。
それを植えつけられているからこそ、いじめを苦に自殺する者に「このレールから外れて生きる」思考がないのにお気づきであろうか。
またもうひとつの視点がある。
それは「いじめられる方に問題がある」とする見方が強く、いじめる側の罪が問われないケースが非常に多いからである。いじめが原因で死人が出たならば本来、殺人事件とまではいかなくともそれに順ずる捜査や刑罰が発生しないとおかしいのだ。
人殺しに比べたら万引きなんてたいしたこっちゃない(万引きを推奨しているわけではないのであしからず)
国や道徳を振りかざしている様々な団体は力の入れどころを間違っていないだろうか?
人が死ぬという事実に対して本当に向き合っているのだろうか?
BSE問題がどうとか言ってるより重要なことではないのだろうか?
死亡事故の原因となる可能性があるから強烈に飲酒運転を取り締まっているが、それよりも遥かに多い死亡率の自殺に対して社会的な取り組みを行っているのだろうか?
いじめによる自殺は一時例の解決で収まるものではない。
社会全体の意識改革からはじめないと根本的に解決していかない。
究極論であるが、病気や老いによって「自殺」を選ぶのは人の権利だと思っている。
そうではなくて、いじめなどによる外的要因によって「自殺」を選ばされる事態は「殺人」なのだ。
ゴミは拾って持ち帰りましょうレベルの屁みたいな道徳論にはもううんざりしている。
命を救うこと。それを最優先に考えられるそんな良識のある国を望んでやまない。
このテーマはいずれもっと具体的な案をもって突っ込んでいきたいと思う。