2006年10月17日火曜日

いじめ 自殺

■□■□ 【社会や思想系】 ■□■□

痛ましいことだが、連日ニュースが「児童の自殺」を取り上げている。それは北海道のいじめ自殺隠蔽事件や福岡県のいじめ自殺に教諭が関与していた事件などが発覚しているからだ。

いじめによる自殺の件数は99年度以降ゼロ

という文科省の公式発表も明らかにウソである。
昨年度だけでも公立小中高校に通う生徒で自殺者は105人出ているのだから。

YOMIURI ONLINE「いじめ自殺緊急調査、文科省が全国の小中高で洗い出し」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061017i101.htm

今回は「いじめ自殺」について少し言及してみたいと思う。


■身近にある死
平成16年の統計では自殺者は32,325人である。
参考:「平成16年中における自殺の概要資料」警察庁生活安全局地域課
職業別自殺者数
抜粋:職業別自殺者数
平成10年度~16年度の平均は約3万3千人
かくいうボクも、身近、知人や面識のある人の自殺を5例知っている。
それを踏まえていうのだが、国の自殺防止策は根本的に間違っている。
まして、いじめによる自殺は殺人に相当する犯罪である意識が非常に希薄なのだ。
ボクに言わせると万単位の殺人が日本で野放しになっていて
交通事故なんか目じゃない。超恐ろしいホラーの世界だ。

■自殺って客観的にどうなの?
ここで客観的な話をしたい。
様々な状況の中から「いじめによる自殺」を特に意識していうと、

なんで死んじゃうの?逃げればいいじゃない

といえる。
死者を愚弄しているわけではないが、たとえば学校でいじめがあって本当にもうどうしょうもなくなったら親に相談し「転校する」という手だってあるのだ。
当然、自殺するくらいなら相手を殺すという選択肢すらある。
つまり誤解なく言うなら、それで死んでしまうのは「アホウ」だ。と考える人もいるかもしれない。
しかし、実際はそうはうまくいかない。なぜだろうか?
それは自殺に至る人たちが真面目で責任感があり「迷惑をかけたくない」という気持ちが強く、「逃げる」選択肢を選ばない傾向があると推測する。
また他にも理由がある。その理由こそ社会的問題を抱えており、国をあげて対策しなければいけないことだ。これを次にとりあげたい。

■見殺しにする社会
世の中にはレールがある。
ボクのようにレールを嫌うほうが珍しく、外れてみるとよくわかる。

学校に行き、就職して、結婚をして、老いて死ぬ。


この基本的なレールから外れると並大抵のことでは普通の生活が送れない。
それを植えつけられているからこそ、いじめを苦に自殺する者に「このレールから外れて生きる」思考がないのにお気づきであろうか。
またもうひとつの視点がある。
それは「いじめられる方に問題がある」とする見方が強く、いじめる側の罪が問われないケースが非常に多いからである。いじめが原因で死人が出たならば本来、殺人事件とまではいかなくともそれに順ずる捜査や刑罰が発生しないとおかしいのだ。
人殺しに比べたら万引きなんてたいしたこっちゃない(万引きを推奨しているわけではないのであしからず)
国や道徳を振りかざしている様々な団体は力の入れどころを間違っていないだろうか?
人が死ぬという事実に対して本当に向き合っているのだろうか?
BSE問題がどうとか言ってるより重要なことではないのだろうか?
死亡事故の原因となる可能性があるから強烈に飲酒運転を取り締まっているが、それよりも遥かに多い死亡率の自殺に対して社会的な取り組みを行っているのだろうか?
いじめによる自殺は一時例の解決で収まるものではない。
社会全体の意識改革からはじめないと根本的に解決していかない。
究極論であるが、病気や老いによって「自殺」を選ぶのは人の権利だと思っている。
そうではなくて、いじめなどによる外的要因によって「自殺」を選ばされる事態は「殺人」なのだ。
ゴミは拾って持ち帰りましょうレベルの屁みたいな道徳論にはもううんざりしている。
命を救うこと。
それを最優先に考えられるそんな良識のある国を望んでやまない。
このテーマはいずれもっと具体的な案をもって突っ込んでいきたいと思う。

13 件のコメント:

  1. 全てが北海道滝川や福岡筑前の学校のようだとは思いたくありませんが、これが今の学校現場、先生の現場、教育の現状を現している実証だと思います。
    教育の見直しが話題になっていますが、最低このようなことを起こさない学校作りをして欲しいですね。

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  2. たかすけさん
    トラックバック、ありがとうございました。
    追い詰められて自殺してしまう子ども達は、本当に逃げ場がない、子どもだから余計に。
    なのに、追い打ちをかけるような非難や中傷と子どもを亡くした親への批判は、許せません。特に、母親は攻撃の的になり、ズタズタにされながらも子どもの人権を守っています。
    こんな世の中、絶対におかしい。弱いものいじめをしてるのは、いまの社会ですよね。

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  3. 子供の「世界」ってのはメチャクチャ狭くって、自分がクラスでいじめられた、ってだけでもうどこにも自分の居場所がないと感じちゃったりするんだな。不登校になるなり転校するなりフリースクールに通うなり方法はいくらでもあるのに。(不登校は本当に一時しのぎでしかないけど死んだりするより遙かにマシ)
    で、周囲の大人が他に逃げる場所はいくらでもあるって事を教えてやればいいのに、それを誰もしないもんだから絶望して死んじゃう。学校に行けるようにするって事を最優先するんじゃなくて、まずはいじめられてる本人が一番楽になれる方法を周囲の大人が一緒に考えてやるのが一番なんだと思うんだけどねぇ…。
    まぁ、そういう自分も立場上「どうしても嫌なら学校なんて行かなくていい」とは表立っては言いにくかったりするんだけど。

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  4.  誰かを非難したり、中傷したりするつもりはないことを、先におことわりしてコメントします。
     数年前、わたしはいじめ自殺事件の裁判を経験しています。というより被告人の一人でした。
     私の息子が同級生をいじめて自殺に追い込んだとして直接の加害者(被告人)となり、親のわたしは親としての監督責任を問われたものです。
     学校もいじめを放置していたとして管理責任を問われ、こうして三者が亡くなった少年の親御さんから告訴されました。
     今回の福岡の事件と同様にマスコミも騒ぎました。実際に暴力がありました。遺書(日記)もありました。
     裁判は初めてでした。取っ掛かりから大変で、弁護士探しに苦労しました。弁護士というのは依頼すれば誰でも受けてくれるわけではなく、勝算のあるなしで事件を選べるのです。
     ようやく弁護士をみつけて裁判の端緒ににつくことが出来、その結審までに5年を費やしました。
     詳細は省きますが、この裁判を通じて通常では見えてこないたくさんのことを知り、学びました。
     最終的に「いじめとは認められない」と結審され、わたしたちは冤罪的な社会的拘束から解放されたものです。
     
     一見すればおかしな結論です。遺書にはいじめの指摘もあり、個人名も記載され、現実に暴力もあったのに『いじめではない』となり無罪放免になったのです。そんなことはありえない、なにか裁判というシステムのおかしさが原因じゃないのかと思われるでしょう。
     いじめでなかったらなぜ少年は死んだのか?ということなります。そこにこそ、マスコミや一般社会がまだ気づいていない隠れた真実があります。
     裁判になると加害者側ばかりが追及されたり糾弾されるわけではありません。同時並行的に死んだ少年の過去が洗い出され、家庭や親などの教育環境も法廷に引っ張り出されます。
     そういう中で当初の事件の様相が逆転していきました。
     審理が進行していくと、死んだ少年の屈折した心理・行動が明らかになってきました。
     たとえば息子の暴力は、間違った方向へ行こうとする少年を正すための友人としての一撃でした。
     学校で級友たちになじめないというのも、自ら裏切り行為を繰り返していたからでした。
     マスコミに激怒のコメントをしていじめを訴えた親御さんの姿勢は、我が子の教育を放棄した親の保身の裏返しでした。
     社会に起きているこの種の事件のすべてがそうだとはいえません。特殊な例だと思いますが、ただ表面的に事件を捉えて決めつけてはならないと思います。
     5年が経過したころには、マスコミはもう次の新しい事件を追っていてわたしたちの追跡記事はありませんでした。「言うだけ言って終わりかよ!」と叫んでも後の祭りで、真実を社会に公開しないまま事件は閉じられました。
     自殺する少年たちの中には、死ぬ理由を『いじめ』にすり替えてしまう者もいるということです。子供の屈折した心が、誰かに責任を転嫁してしまうこともあるのです。遺書や日記が少年の心の真実を述べていると単純には言えないのです。
     近年、少年の恐ろしい事件が起きています。ふたを開けてみればごく普通の子です。ごく普通の子が時には殺人者になり、自殺もする。
     わたしは、もっともっと子供たちを深く見つめていかなければ、今の子供たちの心の奥を知らなければならないと思います。
     その先には、どこかにわたしたちの大人社会の欠陥が隠されているような気がします。
     亡くなった少年は、強盗、放火の手のつけられない非行少年でした。保護観察を受けていた最中の自殺でした。生前、少年は「家の中でホッとできるのはトイレの中だけ」と言っていました。
     何が少年を非行に走らせたのか、自宅の居間で首を吊り、帰宅する親にその姿を見せつけた理由は何か、遺書を遺してだれかのせいにして死ななければ満足しない心理はどう分析するのか。
     そもそも、自分の命を絶つということをどう考えているのか。
     いじめられて死ぬ子はいますが、それ以上に生きようとしている子はたくさんいます。『生きよう』とする子の考えのほうが正しいに決まっています。だから「死んだ、犠牲になった、かわいそう、いじめたやつが悪い」ばかりでは側面しか見ていないと思います。亡くなったことに対しては心の痛みを感じます。でもそれだけでは片手落ちだと思うのです。
     非難、中傷するつもりはありません。いじめは赦せません。いじめられている子を救いたいと思います。
    だから、いじめに直接関わってきた者として少しぐらいは違ったコメントをしても赦されるかな・・・と思った次第です。

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  5. 多種多様なコメントをいただきました。
    特にT・Hさんの違った側面の意見は参考になります。
    裁判の結果、いうなればいじめによる自殺ではなく「あてつけ自殺」に巻き込まれた。といっても過言ではない事象です。
    とはいえ、日本が法治国家である以上、暴力によって事態を改善させようとしたご子息には幾ばくかの責任はあったことでしょう。
    またT・Hさんのお話にあったように、自殺した子供の家庭環境を抜きにいじめ自殺は語れないように思います。
    福岡の事件で、被害者の親御さんが物凄い剣幕で学校側の責任を問うシーンが報道されているのをみて、ボクは少し疑問に思いました。最初は「親ならばこれぐらい憤慨するのかな」とも思いましたが、歯に衣を着せず言わせてもらうなら、所詮学校は教育の場であって、子供たちの命を保障している場所ではないからです。学校側に全く責任がないといえば嘘になりますが、やはり最終的にもっとも責任を持たねばならないのはその子供の家族といえます。それがわかるからこそ、被害者の両親は、どこかに(ここでは学校に)怒りをぶつける前に普通は自分自身を責め、苦しみ、塞ぎこんでしまうものです。ボクの限られた経験談による考えなので、実際はそうではないのかもしれませんが、「息子が死んだのはアンタのせいだ!」と言える親の心理は少々理解に苦しみます。
    話が主題から逸れてしまいました。
    いじめは犯罪であるということ。
    学校は隠蔽しないこと。
    まずはその命題に正面から取り組む社会を希望していきましょう。

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  6. いじめで自殺 親にも相談出来なかったんだよ!
    でも親は学校のせいにするんだ。
    自分の子供が自殺しても、親は子供の気持ちを解らないんだ。
    死んだ子供は親に気づいてもらいたっかったはず!

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  7. それより、今の子供が弱いように感じる。命の大切さや将来の夢が子供達には薄れてきている。今だけを考えてるようだ.”死ぬ”、”死ね”、”殺せ”と言う言葉に重みがなくなり、軽々に使われてる所を見るととても残念だ。親は何を子供に教えてるのだろう。いい学校に行っていい仕事につくこと、そんなことよりもっと大切なことを教えずにいるのはおかしい。ある哲学者がいった言葉がある、”君の命、人生はこれのみだ。死んだ後にはもう君は存在しない。そんな最初で最後の生きるってことを簡単に投げ出してしまうのはばかけたことだ。”

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  8. 長野県ではこんな事が起きています
    どう思いますか?
    http://blog.livedoor.jp/yutatakayama/
    いじめをそた教師と生徒が逆訴訟しています

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  9. たかすけです。
    長野県丸子実業高校の件ですが、当事者たちでないとわからない事情や背景があるはずなのでどちらかを一方的に非難できかねる面はあります。
    私情を抜きに言えば、裁判になっている以上司法の判断に委ねるしかないでしょう。
    ただ、年月に埋もれることなく白黒決着がつくことは今後のいじめ自殺問題に一石を投じることとなり決して無駄ではないと思っています。

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  10. 自殺をすると言いたいことを伝えられなくなる。そして悲しむ人が大勢いる。そのことを忘れてはならない。がんばって育ててくれた親に悪いと、わたしは思います。いじめに負けないでもし死にたくなったら誰かに相談してみればイイと思います。

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  11. 私は自殺したいと思ったことがあります。でも死ぬ勇気が無いし、あと支えてくれる友達がいたから今の私があるんです。親から貰った命を無駄にしたらダメ。辛くなったら誰かに相談しましょう。

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  12. 逃げれば良い。
    でもそれが出来ないんですよね。
    それを分かってくれない大人も結構居ます。
    じゃあどうすれば、世界を広げられるか?
    それは、私が思うに「大人たちとの触れ合い」なんじゃないかと。
    自分より多くのことを見て、聞いて、知っている人。
    それは大人です。それが大人です。
    そういう、ちゃんとした大人と喋ると、何かが変わる。
    「そういうこともあるんだ」、ってきっとわかる。
    何らかの形でそういうことを、子供に伝えて欲しいです。
    大人の力を、貸してください。
    一緒に、いじめに立ち向かって欲しいと、子供は切に思います。

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  13. いじめられるってことは
    すっごくつらい。
    私も嫌われているから。
    つらくて
    苦しくて
    哀しくて
    寂しくて
    死にたいって思っちゃうよ。
    思っちゃいけないって思ってるよ。
    でもね?
    もう嫌なんだ。
    でも私は自殺する勇気がない。
    どうしたらいいの?
    助けてほしい。
    『死にたい』は『助けて』と言う
    合図だよ。

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