2005年4月12日火曜日

やる気は奪われる

■□■□ 火曜日は【社会や思想系】をお届けします。 ■□■□

堅いお話です。
やる気を奪われた人たち、これから奪われる人たちをどう守っていくか。
裁かれなければいけないのは誰なのか。の序文です。

悩んでしまう方は読まないことをお勧めします。



~~~~~~ ここから始まるよ

やる気を失った人たちが急増している。
かくいうボクも相当ヘコんでいた。
社会的にみれば、失った人たちが弱いのであり、当人の問題とする風潮がある。
しかし、無気力になった人たちに責任があるのだろうか。
通常人間は無気力状態で生まれてはこない。
それが、他者の損得や保身だったり、将来の閉塞、誹謗中傷的なもので損なわれていく。
そうは考えられないだろうか。
赤ん坊を見ればわかる。喜怒哀楽がある中、喜楽を選択して成長していく。
それが奪われる。
なにも直接人を殺したり危害を与えるだけが犯罪ではないはずだ。
影響を被った人の人生を不幸にするなら立派な犯罪に思えてしようがない。
いまや、精神の安全が求められる時代となり、誰しも自分には関係がないと笑っていられない。
心理的攻撃は交通事故よりもはるかに遭遇しやすく、同等の危険が潜んでいる。
幼年期の虐待、いじめ、差別しかり、社会に出ればその攻撃性も大きくなる。現実的にトラウマを負い、一生を捻じ曲げられてしまった人たちは相当数にのぼるのに、加害者である攻撃性を持った人間はなんの罪を負うこともなく、更に巧妙な手法で他者を攻撃するよう成長していく。
罪の度合いが同等でも傷害事件のように容易に逮捕し、罰することができないからだ。
いまこそ、宗教といった一部の権力者に利用されるツールではなく、もっとセーフティで個々の精神に対する保険のようなものが必要だろう。また、「証拠の残らない精神的な犯罪」に対抗する策も考えなくてはいけない。
これは私の生涯をかけたテーマのひとつである。
~~~~~~ ここまで
自分で書いてて、自分で解説が必要なのですが、
・人がやる気をなくすのは他者や社会が大きな原因だと主張
・精神攻撃は肉体攻撃と同等、またはそれ以上だと主張
・精神攻撃に対抗するシステムまたは組織が必要だと主張
しています。
同情チームを作るつもりではなく、いかに信頼できる仲間を集めるか。いかに対抗できる力(社会的に発言権を持つ、法律に精通し攻撃者に処罰を課すことができる等)を持てるかといった具体的な策を考えていきたいなぁと・・・。
楽しく暮らしやすい世の中が一番ですが、そのためにはマイナス要因とも戦わなければいけない。
綺麗ごとだけでは済みませんよね。
有形の力が必要なわけです

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