2005年5月17日火曜日

ボランティアは無償奉仕?

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「趣味でボランティア活動をしています。」

と言うと損する場面があります。
「あー、こいつはタダで働いてくれるんだな」とか「損得勘定のできない奴だ」と思われてしまうことが多々あるからです。実際のところどうなのでしょうか。

みなさんは趣味の時間、空いた時間をお持ちだと思います。
仕事一徹!プライベートな時間などない!方は少し外させていただくと、
映画を観たり、スポーツをしたり、ドライブをしたり、食事をしたり、旅行をしたり、ゲームをしたり
と自分にとって「楽しい」と思える時間を過ごしますよね。
ボランティア活動も同じです。活動を通して、地域が向上する、または参加してくれた人の笑顔がみれることを楽しいと思えるので行っています。
決してタダ働きが好きな人たちではないんですよ(^^;
たしかに例外はありまして、使命(行う理由)があって損をしても活動を推進されてる方はいます。実際に会を動かしているのはその方たちなのですが、楽しみながら活動されている人がほとんどです。






ボランティア参加意識
A-1

使命(理由)があり 楽しい
A-2

使命(理由)があり 楽しくない
B-1

使命(理由)がなく 楽しい
B-2

使命(理由)がなく 楽しくない

A-1:運営者
A-2:支持者
B-1:参加者
B-2:不参加者
といった感じでしょうか。
個人が楽しいと感じるものは人それぞれです。
なにかを犠牲にボランティアをするのではなく、「自分が住んでいく街だから」とか「もっとよい世の中になって欲しい」という気持ち、そして、それに貢献するのが楽しいという意識が持てたら素敵ですね。

5 件のコメント:

  1. 突然のカキコ失礼します。
    ボランティアに対する意識の表に大変関心をもった、福祉を学ぶ学生です。
    この意識に対する表説明ははたかすけさんが個人的に作成したものなのでしょうか。
    よろしければお教えください。
    では失礼します。
    (´・∀・`)ノシ

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  2. EDMさん、こんにちわ。
    ご質問のあった表は個人的に作成したものです。
    学術的根拠はありませんです。
    たかすけの感性でザックリ区分しています。
    と、素直に回答して人のイイところを見せておき、ボクからも質問がw
    ■EDMさんは表に対し、どのような興味をお持ちになりましたか?
     例「全くその通りに感じた」「そうは思わないナァ」「卒論に載せたい」など
    なんで聞き返すかというと、
    漫画「ドラゴン桜9巻」にもありましたが、I(アイ)コミュニケーションです。個人の見解や意図を明かしての質問でないと答える方も「答えていいものか」躊躇ってしまいます。
    次回から意図を明らかにしましょ~。
    それともうひとつ
    ■EDMの名前の由来ですが、これって防災系でしょか?
    こちらは純粋に知りたいです。ググったら「防災科学研究所」だったので。

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  3. 早いレスポンスありがとうございます。
    ボランティア=無償であるという考え方が何処からきたのか、ということを少々ググッていたところ、こちらのブログにあたったため、入り口から入らずあまりどのような趣旨のページなのか理解しないまま安易にカキコしてしまいました。すいません。
    感想を述べますと、
    たかすけさんの視点を地域のボランティア市民活動団体とし、僕の視点というものを一言で言えば「大学のボランティアセンター」とします(卒論もそんな趣旨です)。
    僕の視点に表を置き換えると、
    運営者=ボランティアをする中枢=ボラセン、コーディネーター
    支持者=直接は関わらないが、運営の為に何らかの協働をする者=大学教職員、地域の福祉活動者、社協、行政、
    参加者=ボラセンを活用し、ボラ活動をしている学生
    不参加者=大学内での講義でのみボラを学習した学生
    となり
    効果は、だいたい同じですが、支持者の楽しくない、と不参加者の楽しくない、という点は「ボラ活動の利点を実感しずらい」とでも言い換えることが出来るのかなあと思いました。
    ドラゴン桜、知りませんでしたが調べてみました(友人情報活用)なるほど、Iコミュニケーション、論文のための調査で、多大学関係機関に初めて連絡取る時も相手の「躊躇」を感じることは多々あります。
    でも最初っから意図を伝えすぎるのも失礼になることもあり難しいものですね。
    EDMというHNに特に意図はないです、昔からなんとなくつかってるHNと言ったところでしょうか。エデムと読んでます。
    自分でもググったことありますが(・∀・)確かにそんな結果でしたね。

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  4. EDMさん!丁寧な回答ありがとうです。
    了解したなり!
    ■ボランティア=無償である考えはどこから?
    深いですね。あまりストレートに書くとイジメに遭いそうです。
    「地域の社会成熟度(問題意識)」ですかしらん・・・。
    実例ですが、
    病院の人手が足りず混雑が起こりそうということで、地域のお母さんたちがボランティアでお手伝いをしました(しています)
    恩恵を受けている人はたくさんいます。
    しかし、報酬はありません。
    今回の件だけで言えば「病院側」の問題かもしれませんが、似たような事例はあるでしょう。
    これで自分が事故った際に「病院の人手が足りず混雑」していたら、心底思うわけです「誰か、助けて」と。
    そう、ここです。
    「誰かやらなきゃ困るじゃん!」という意識が出てこないと、無償なわけです。
    地域住民がジュース一本分の支援をすれば済むんだがのうー。
    EDMさん、日本を導いてくれw
    #NPOでは有償ボランティアもありますが、金を先に保証するとまぁ、商売になりますしね・・・。

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  5. 有償、無償の境目を「本当に一銭でも貰うかどうか」というボランティアは一銭も貰わないことが美学だ!的なことを言っている人は、もはや現代社会のボランティアに対するニーズの違いに取り残されているということで、ほっといて(笑)今の時代、有償であることに電車賃、昼代等はあまり数えられていません。これは有償であるというよりは、相互の気持ち的な部分なのでありますから。
    又、病院の例のように誰かがやらなくては、自分に何処かで還ってくるという考え方はとても大事ですね。
    そこで困っていることが、何時かは自分に還ってくる、それが経済的システムにのった現代生活において、理解されづらい点があるのかもしれませんが、現代の常識のフィルターを取っ払えば、結構簡単なことのような気もします(今までの常識を取っ払えって言っているようなもので、容易なことではないのでしょうが^^;)数百年だかの貨幣価値というフィルターを通す前の世界では、当たり前のことだったのですが。
    それが理解されずらい今の社会を理解した上で、有償というものがしょうがない場合もあります。例えば障害学生に対する授業のノートテイク問題。
    これは障害学生と、ボランティア学生によってでないと解決が難しい問題であり(学生以外にボランティアを頼むということは大学の講義である上で難しい)、それでいて、ある程度のクオリティをボランティア学生に求めるには有償であることによる責任の重さというものを理解してもらう必要がある。(クオリティを保つことが障害学生への学習機会の平等を保つポイントになるからだ)
    本当は、お金によるボランティアする義務ではなく、ボランティアをする権利として大学内にノートテイクボランティアを当たり前のようにするという文化が醸成されることが大事なんでしょうけど。
    難しいですね。そこを理解し、双方向に理解を促すコーディネーターの判断も重要になっていきますし。

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